何年か前に読んだ、古賀史健さんというライターの方が書いたnoteの記事がなんとなくずっと印象に残っている。

「傷つきやすい」は、「傷つけやすい」。

「傷つきやすいひと」は、往々にして「傷つけやすいひと」とイコールだったりする。ちいさなことに傷つくひとは、同じくちいさなことで誰かを傷つけていく。怒りの沸点が低く、しょうもない私憤を、たいそうな公憤であるかのようにすげ替えて、誰かを攻撃する。

「傷つきやすい」は、「傷つけやすい」。|古賀史健|note

知らず知らずのうちに、誰かに不快感を与えたり、迷惑をかけたりしているかもしれないけど、できることなら誰も傷つけないでいたいと思うようになった。
特定の誰かを非難するつもりは全くないし、私の個人的な考えを書いているにすぎないのだけれど、SNSを長年利用してきていまも時々見かける、人間関係の断捨離やフォロワーさんを整理します、しました宣言。深刻なネットトラブルとか誹謗中傷とかストーカー被害に遭っているなら、スッパリ断ち切ることが必要なときはある。自分の興味や関心が薄れてしまった人や、意見が合わなくなったなと思った人、できればかかわりたくない人、、、誰にでもあり得るけれど、そういう人たちのことをわざわざ断捨離や整理しますと宣言する心理ってなんだろう。

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そっといなくなった人

数年前に私が何か政治的なツイートをした時のこと。しばらくしてからあるフォロワーさんからそっとフォローを外されていたことがあった。
私はそこまで政治に詳しくないし、滅多にそのような発言もしないのだけど、その方とは意見がちょっと違うんだなということは前々から認識はしていた。フォローされていない状態に何かで気づいて、その方のアカウントを見に行ったけど、普段どおりのツイートが並んでいるだけだった。
直接やりとりをしたこともないし、そこまでショックとか気まずいということでもなかったけど、ああ、仕方ないな、とその時思った。
この出来事があってから、何となく政治的な発言をしなくなった。まぁほとんどしてなかったけど。どうしても伝えたいわけでもない私の発言内容で、これからもかかわっていきたい人がもしかしたら離れていくこともあるかもしれないと思うと、あまり何でもかんでもツイートするもんじゃないなと考えるようにもなった。

傷つく覚悟はしておこう

人間関係は箱じゃない。断捨離や整理という言葉を聞くとどうしてもイメージしてしまう。自分が用意した箱の中に、さらに2つの箱を入れて仕切って、1つには自分が興味・好意を持っている人、もう1つには自分に興味・好意を持ってくれている人が入ってくる。それをその時の状況によってこの人はこっち、この人はそっちと箱から出し入れして駒を並べているような様子を想像してしまう。その箱に入るに相応しいかどうかの基準は、自分の主観でしかないのだから。

人から嫌われると傷つく。人間関係の整理は面倒なトラブルを前もって回避するという目的もありそうだけど、自分が傷つくのがいやだから先回りして尖った言葉で自分を守っている部分もあるんじゃないかな。不必要に他人を拒絶する行為もまた、愛されたい、好かれたい、ほんとはかまってほしいの裏返しなのではとも感じる。
すべて自分が望むような人間関係にならないのは仕方のないこと。自分をフォローしてくれたからといって、自分のすべてに興味関心を持ってくれているわけじゃないし、この人には自分のこういう部分を見てほしいと思っていても相手の目的は違うかもしれない。フォロワー数を増やしたいだけなのかもしれないし。でもそれは相手の問題だから考えても仕方ない。

「傷つきやすい」は、「傷つけやすい」。時々思い出して、ああそうだな、と思ってしまう。
人を傷つけないためには、自分が傷つく覚悟をしておいたほうがいいと思う。これからも仲良くしたいと思っている人がもし離れていって「裏切られた」と感じるのはやっぱり、望むような関係を作ってくれなかったという自分の不満だけだから。

だから私は自分から人間関係の断捨離やフォロワーさんの整理、その宣言もしないでおこうと思う。


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