
引っ越ししてから、家から小学校までの距離がとても遠くなりました。
引っ越し前は徒歩5分。今は大人の足でも40分。
学校全体の動きとして、できるだけ歩いて登校しようと促されていることもあり、最近は集団登校で歩いて学校まで通えるようになりました。
でも「歩いて学校に行くこと」って、子どもにとってどれくらい重要なことなんだろう?って思ってしまうんですよねー。
歩いて登校することを期待している先生たち
いまは大人の足でも40分はかかるほど、校区の端っこオブ端っこに位置するところに住んでいます。
引っ越しすることとその引っ越し先をまわりの先生に伝えたとき、口を揃えてこう言われました。
先生「だいぶ遠くなるなぁ。歩いてくるの大変になるけど、がんばってね。」
私「あ、はい、まだ道もよく分からないから、落ち着いたらまた。。」
そんな感じで車で送迎すること約2週間。
先生から何度か指摘もあり、登校班の集合場所や時間も知らされて、息子は40分近くかけて、登校班のみんなと歩いて学校へ行くようになりました。
早く起きれなかったときなんかは、私が車で送っていくこともありますよ。
歩いて登校する子=がんばってる?
朝からわりと日差しの強かった日。帰りはお迎えに行くからねという約束で、朝は集団登校で歩いて登校させました。
その日は、登校した児童から掃除のボランティアをする日。
息子はそれに参加したかったようなのですが、学校に着いた時間が遅くて参加できず、ちょっと泣いてしまったみたい。そのとき先生がこんなふうに慰めてくださったようです。
「きょうはがんばって歩いてきたんだから、それだけでもいいよ。」
あー、歩いてきてじゅうぶん暑かっただろうし、ボランティアまでしなくていいよね。
先生からのねぎらいの言葉であることは、じゅうぶん理解できるんです。
でもね、なんか「暑さ寒さに耐えて歩いて登校する子ども=がんばっていると認める」っていうことなの?
息子はきっと純粋に、掃除のボランティアに参加できなかったのが悔しかったんだろう。
それが分かってたら、パパッと車で送ってあげてもよかったんだけどなぁ。
歩いて登校するストレスをあえてなくした私
今のアパートに引っ越す前は徒歩5分圏内のところにアパートを借りて住んでいました。
小学校に入学する直前に、友達や知り合いがいない今の校区に引っ越した息子と私。
この頃の息子はまだ、発達障害の特性からくる日常の困りごとがたくさんあった時期でした。予期しない出来事にパニックになったり、着るものや履くものに強いこだわりがあったり。
学校も家も人間関係も新しくなり、ストレスがかからないわけがない。
学校に通う上でひとつでも問題を減らして、学校って楽しい!って思ってもらえるために、まずは時間をかけて歩いて登校するという負担をなくしたいと思ったんです。
がんばりたいことに専念してほしい
もう少し学校から近い物件もたしかにあったけれど、私は今住んでいるこの部屋をとても気に入ったので住むことを決めました。
あえて通学に不便なところを選んでしまったという罪悪感に似たような気持ちもあり、今後は車通学になっても仕方ないかな、って思って引っ越してきました。
結果的に、息子の一人部屋も確保することができ、彼自身も家で過ごす時間を楽しんでくれています。
さらに40分かけて学校にたどり着くだけの体力、その後の学校生活や放課後デイをしっかり楽しめる気力も持ち合わせていた息子。
もちろん今後も続けることで、さらに体力や筋力がついていくことはきっと間違いないだろう。
でもね、学校に行くまでの道のりはあくまでも「手段」であっていいと、私は思うんですよね。
その日学校で、どんな友達と、何をやるのか。そっちのほうがずっと大事なことじゃないかな。
息子なりの「目的」をもって、学校生活を楽しんでほしいのです。